認知の創造者たるあなた自身(後半)~スザンヌ・リー経由アルクトゥルスより

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アルクトゥルスより スザンヌ・リー経由のチャネリングメッセージをお届けします。 認知の創造者たるあなた自身(前半) 思考と感情...

次元の上昇は内側に

この惑星のコアの内側の深い体験は、あなた自身のコアの内側にあります。ご承知おきいただきたいのは、高い波動や次元はあなたの上にあるのではなく、あなたの内にあるということです。同様に、低い波動や次元はあなたの下にあるのではなく、あなたの周りにあるのです。真実のあなたがポータルであるということが、これでおわかりでしょうか?

あなたが次元を超えて旅をするとき、あなたは外へ向かったり上昇するのではなく、内に入り通り抜けるのです。ご自身の内で向きを変えて、内なるコアから光が共鳴するのを見てください。5次元的想像力をもってご自身の内側をのぞくだけで、あなた自身の内なる光を認識するのに十分な意識の拡大が起こるのです。

次元と極性

あなたがこの内なる光を有しているのは、あなたが「善良」だからではありません。この内なる光を有しているのは、あなたが「生きている」からです。「善」とか「悪」といった極性は5次元では何の意味も持たないです。そういった極性は5次元の波動には存在しないからです。

5次元以上の次元に極性は一切存在しないのです。3次元の脳にとって、「一切の極性が存在しない」というのは新しい概念だと思います。ですが、「極性」という言葉自体、5次元とその向こうの次元には存在しないのです。

5次元の自分はどんな姿?

次元を超えて旅をするとき、あなたの最初の「着地点」はあなた自身の「多次元の自己」を5次元的に表現したもののひとつとなるでしょう。(「ひとつ」と表現したのは、「5次元の自己」には無数の表現形態があるからです)しかしながら、「あなたの5次元の自己」は「他者の5次元の自己」から切り離されたものではありません。

実際のところ、5次元には「他者」という概念は存在しません。誰もがワンネスの表現形態なのです。それ故に、誰もがあらゆる者と絶え間なくつながっています。例えるならば、あなたの指は全てあなたの手と絶え間なくつながっているかのように。そしてまた、あなたの手もあなたの体と完全に一体となっているのです。そしてあなたの体はあなたのライトボディと結合しています。実のところ、ライトボディの手は「てのひらと指」というよりも「光のひらめき」のように見えます。

ライトボディはどんなシチュエーションにも完全に順応できます。ですので、例えばある船が素晴らしいゲストを迎えようとしていたとします。そしてあなたがその船に乗っていたとします。ゲストが心地よく感じるよう、あなたはどんな装いをまとうこともできるでしょう。5次元で「装いをまとう」ことは、ユニフォームをまとうことに似ています。ユニフォームはあなた自身と同化するので、ユニフォームをまとっている体を着ているように見えます。

真実のあなたを3次元の人間や3次元のあなた自身に示している「装い」というものがありますが、通常はこの「装い」を選択します。そうすることで、誰かのあるいはあなた自身の3次元的表現形態をおびやかすことなく、あなたの無条件の愛や多次元の光をシェアすることができます。

ライトプラネットの導き手

あなたの体が「ライトボディ」に変容しようとしているのと同様、惑星ガイアもまた「ライトプラネット」へと変容しようとしています。彼女の偉大なる本質は3次元の高密度な殻の中に閉じ込められていましたが、ライトプラネットになると、もはやその本質を閉じ込めておく必要はなくなります。実際のところ、3次元で絶滅した動物や植物、そして自然の特徴などは密度から光への移住において導き手の役割を実際は担ってきたのです。

あなたの意識が5次元の地球を訪れ始めると、死んだり絶滅したと思われていた植物や動物、そして人々と出会い喜びを覚えることでしょう。彼らが「死んだ」のは3次元との共鳴においてのみなのです。彼らが生きているタイムラインでは、「時間」の中に存在しないバージョンの現実が選ばれ、「今」という時のなか彼らはそこに移住したのです。

時空と3次元

「時間」と「空間」が結合して地球の3次元マトリックスになりました。時間と時間によって産み出された一続きの空間から離れると、この3次元マトリックスから離れ5次元との共鳴やその向こうへと還っていくことになります。私たちが「共鳴」と言うのは、5次元は3次元のように静止していないからです。

例えば、あなたが庭の大きな木を眺めたとしましょう。あなたの意識の状態や意図、あるいは信条に関係なく、その木はその場にとどまり続けるでしょう。もしあなたが4次元の波動からその木を見たとしても、木は多くの3次元のルールに縛られていて、根は地中に伸び、枝は空へ向かって伸びているでしょう。

5次元ライフ

ところが5次元の場合、木は見えないかもしれません。でもあなたが「木陰を作ってくれる大きな木がここにあったらいいのに。」と思うとします。すると次の瞬間、そこに木があるでしょう。あなたがもっと高い木を望むのならば、あなたの思考がその木のサイズを変えるでしょう。ただ一つだけ5次元ですることが出来ないのは、「その木を切り倒すこと」です。

5次元では全ての命が尊重されているのです。それ故に、木のそばに居たくないのならば、他の場所に移動させることが出来るのです。あるいは、木のない現実へと移動することも出来ます。もしここに木がなく、そしてあなたが木を望むとします。そこであなたがすることは、美しい木がそばにあったらどんなに素晴らしいかと思うことだけなのです。

そしてあなたの「そばに木が欲しい」という思いを「木のイメージ」と結びつけます。すると、木の心地よさとその感情を感じ、木陰の感覚や木の美しさを楽しみます。木や木に住まうものたちの生命力と統合することを選ぶことも出来ます。

言い換えると、「意識」と「木のそばでの体験」を統合するわけです。そして、あなたの認知がイマジネーションに従うに任せるのです。そうすることによって、認知したいことを創造しながら同時にイマジネーションの産物を認知するのです。

“All That Is”~全てなるもの

あなたの内なる高次の自己はあなたの内なる思考形態を投影し、無条件の愛と多次元の光で満たすことでその思考形態に5次元の命を与えます。全ての5次元の生命は「一つなるもの」の「今というとき」に存在します。それ故に、全ての生命は感覚を有した命ある存在として受け入れられ真価を認められています。それらの生命はあなた自身と同じ意識の波動を持っています。

このようにすることであなたが一体化できるのは、あなたの神聖なる半身であり、物理的地球からアセンドした友人たちであり、あなたのミッションであり、そしてあなたのガイドです。実のところ、彼らはあなたの多次元的自己の高次の表現形態です。こういった体験の全ては「一つなるもの」の内に存在し、無限に存在する「全てなるもの」の様々なバージョンを表しています。

「全てなるもの」はあり得る可能性の全てを含んでいます。「真実のあなた」は自分自身の思考形態によって、自分自身の現実の見た目やメンバーを決めています。「真実のあなた」はあなた自身の認知の創造者であり、あなたの認知はあなたの環境の創造者なのです。

認知と創造、創造と認知

言い換えると、「認知が創造である」と言えます。あなたは創造したいものを認知し、認知したいものを創造します。

あなたの願望が、あなたが認知したいと願う認知を創り出します。「認知と創造は同じ意味?それとも別の意味?」そう疑問に思うかもしれません。答えはあなたの意識の状態によって異なります。意識の状態は、あなたの現実の波動に従います。あなたの現実は、あなたがどう世界を認知するかを決めます。

全ての現実は円を描くように「創造と認知」、「認知と創造」を繰り返します。5次元やその上の次元では、「認知」や「創造」の間に隔たりはありません。

事実、高次の世界においては、いくつもの単語が順番にならぶようなコミュニケーションは一切存在しません。全ては「一つなるもの」の「今というとき」の中に存在するのです。あなたが願いうるもの、認知しうるもの、創造しうるもの、あるいは伝えうるものの全てがこの「今というとき」の中に存在し、そこにあるときあなたは「一つなるもの」なのです。

親愛なるアセンドする方々に幸ありますよう
私たちは今というときのなか、あなたたちと一つであります。

あなたたちが望みうること、認知しうること、創造しうるもの、あるいは伝え得る全てのものはこの「今というとき」の中にあり、そこではあなたは「一つなるもの」なのです!

以上、
YOU are the Creator of Your Perceptions–The Arcturians through Suzanne Lieより


訳注:小見出しは訳者がつけたものです。

極性の一切存在しない世界、
5次元って、いったいどんな感じなんでしょうね。

ちなみに極性というのは、
相反する二つのもののこと。

たとえば
暑い・冷たい
軽い・重い
柔らかい・硬い
のようなものもあれば

善と悪
優秀と劣等
勝ちと負け
成功と失敗
などなど・・・

私たちの日常で目にする概念が多数あります。
そして多くの場合、私たちはこの相反する要素に良し悪しをつけています。

例えば、
“勝つのはいいけど、負けるのはよくない”
“優秀なのはいいことだけど、優秀じゃないのは良くないこと”
のように。

この良し悪しの度合いが強ければ強いほど、
私たちはその極性にとらわれてしまいます。

こういった極性の解消する方法のひとつは、
疑うこと。

どうしてそう思うんだろう?
本当にそうなのかな?

自分自身への問いかけ。

例えば、
「失敗するのはよくない」って思っていたけど、
どうして自分はそう思うのだろう?
本当にそれは良くないことなのかな?

というように。

ちなみにヨガの瞑想には
「暑い」と「冷たい」を同時に感じたり
「軽い」と「重い」を同時に感じるというように
相反するものを同時に感じる瞑想があります。

それもまた、極性を解消するひとつの取り組みなのでしょうね。

極性の解消には様々なやり方があると思います。
ご自身に合った方法を探してみるのも楽しいかも知れません。